読書録 地方生活の日々と読書

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アカデミー賞を観る 『それでも夜は明ける』 スティーブ・マックィーン監督

映画館で観てきた。
アカデミー賞作品賞受賞作それでも夜は明ける
がっつりと観客に迫ってくる映画。
久しぶりに時間の経過を感じさせない映画を観た気がした。

痛い、映画

前にも書いたが、私に映画の善し悪しは分からない。
だけど、感じることはできる。
私がこの映画から感じたのは痛みだった。
拉致された痛み。
親子離別の痛み。
そしてなにより暴力の痛み。

主人公はバイオリン弾きの自由黒人である。妻も二人の子供もいる。
ある日彼は白人に騙され、拉致され、奴隷として奴隷制度が存続していた南部に売られてしまう。
鑑賞後に調べたところ、この時期、アフリカからの黒人「輸入」が禁じられ、黒人は高価格で「売り買い」されていた。本作にも裸にされた主人公たちが白人に値付けされるシーンがある。
主人公は「生き残るため」、自由黒人であった過去や名前、教育を受け字を書けることを伏せ、過酷な労働に励む。
北部で自由な生活を送っていた彼は、同じ人間が家畜として扱われる南部の実状に驚き、反感を覚えつつも、どうすることもできない。南部では、黒人奴隷は白人主人の財産であり、殴るのも殺すのも犯すのも主人の勝手であった。主人公も殴られ、鞭に打たれ、働かされ、借金の肩に売られる。
しかし奴隷になって12年後、一人の白人よりSOSの手紙を出すことができ、家族の元に帰ることができた。

本書の暴力描写はなかなかハードである。
下手なホラーやスプラッタ映画よりも痛々しいのは、暴力を振るう方も同じ人間であるからだろう。
本作にまったくの善者は出てこない。
人間離れした悪者も出てこない。
偽善も偽悪もない人間たちしか出てこない映画なのだ。
だからこそ恐ろしいし、彼らの痛みを自分のもののように感じた。
簡単に人を鞭打ちする白人主人たちも、生まれる時代が違えば、暴力とは無縁の人間だったろう。
黒人奴隷たちだって、自らが黒人を使役する立場であれば、鞭を振るうだろう。
実際映画でも、奴隷から主人側になった女性が登場する。
人間とは恐ろしい。環境によって、私もあなたも、善にも悪にも振れてしまう。
人は人をどこまで痛めつけられるのか。
女優の背にできていく、鞭打ちの跡を見ながらそんなことを思っていた。
これ、実話を元にしているんだよな……

山椒大夫

映画を見ながら森鴎外山椒大夫を思い出した。
人攫い、親子離別、強制労働、再会…といったキーワードから連想したのだろう。
しかし『山椒大夫』と『それでも夜は明ける』の間には大きな違いがある。
それはラストのシーンだ。
山椒大夫』では、元服し国守となった厨子王が人買いを禁じ、奴婢を開放した。
それでも夜は明ける』では、主人公こそ解放されたが、奴隷農場の現状は変わらない。
最後、主人公と農場で仲良くなった女奴隷パッツィーとの別れのシーンはとても印象深かった。
脱出できる者と取り残される者。
自由人と奴隷。
その違いは一部の人間の作りだしたシステムによって決まっているだけだ。
紙切れ一枚によって彼は解放されたが、彼女は一生開放されることはない。

それでも夜は明ける」、本当に夜は明けたのだろうか。
黒人差別の法が廃止されてから、まだ100年もたっていないらしい。
本映画もアメリカ人ではなく、イギリス人を中心に作られたのは有名な話。
私たちは本当に夜明けの世界に生きているのだろうか。

それでも夜は明ける オリジナル・サウンドトラック