読書録 地方生活の日々と読書

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呑みながら観た金ロー『アナと雪の女王』【映画感想】

 テレビをつけたら金曜ロードショーで『アナと雪の女王』を放送していた。アナ雪と略され一世を風靡したミュージカル調のディズニー映画である。その人気は凄まじく、特に興味を持たなかった私でもアナ、エルサ、オラフといった主要登場人物たちの名前は知ってたし、飲み会の後でなら作中曲である「ありのーままでー」の曲もカラオケで歌えそうだ。王女であるエルサとその妹であるアナの姉妹の話であることも知っていたし、はてな歴も長いのでこの物語は「あのディズニーが「王子様はいらない」ということを示した」という点で画期的だったという感想合戦がネット上に咲き乱れていたことも知っている。実際にテレビ放映を見終わってから驚いたのだが、私は作中曲のほとんどを知っていた。が、それでもやはり映画館でも、Amazonプライム・ビデオでも見たことがなかった。テレビをつけたのも偶々で、もしも今日どこかに飲みに出かけていたら、私は録画してまでアナ雪を見なかっただろう。
 それでもせっかく地上波で放送してくれて、他の番組では大して見たいテレビはやっていない。ベストセラーや興行収入No. 1などの言葉には反射的に背を向ける残念な大人になってしまった私でも、見ない選択肢はなかった。話題作だし一度くらい見ておいてもいいかも、職場ではディズニーの話題は毒にも薬にもならずそこそこ盛り上がるし、との下心もあったが。

 そして見終わったので忘れないうちにと感想をスマホにメモしている。
 もちろん映画として作られた作品を映画館で1800円出して観るのと、賃貸アパートの狭いリビングに置かれたテレビで酒を呑みながら見るのとでは、得られる感動もそれを言葉にした感想も大いに異なるだろう。しかし個人の体験としては等価値で、同じように人生を消費して得られたものである。私はだいぶ酔っている。アナ雪が始まったころには夕食は食べ終わり、先週遊びにいった兵庫県日本海側で購入した地酒「香住鶴」(の秋限定だという「生酛 吟醸純米 香住紅葉」。もちろん美味しい)を、鯖の糠漬けである「へしこ」を焼いたものを肴に呑んでいるところであった。下記に書く感想はすなわち酔っ払いの感想である。
 ネタバレ注意。

 酔っ払いはどうでも良いことに引っかかり、どうでもよい感想を述べる。
 作中で気になったのは「トナカイが食べかけた人参を人間が食べるのは如何なものか」ということだった。人とトナカイの絆を示すシーンであることは重々理解できるが、どうしても頭の中に「人獣共通感染症」という言葉が浮かんで仕方なかった。今書いていて驚いたが、本当にどうでもいい感想である。この話はもうやめよう。

 見終わってから驚いたのは、ストーリーがオーソドックスであったことと、それにも関わらず(そうだからこそ?)、酔っ払いの私でも最後まで楽しめたことだ。ストーリーの分析はすでに多くのブロガーが行なっているので譲るとして、感想としては、ストーリー作りの教科書に載ってそうな作りだなということであった。これは勿論、悪い意味ではない。
 また私と同じように酔っ払いながらこの映画を見ていた夫が、鑑賞後、「なんかご都合主義というか、ついさっきまで「雪の女王怖い!」となっていた民衆たちがエピローグで「わーエルサー!女王様!」となっているのがなんかなー」という感想を漏らしていた。
 が、私はこの民衆の心変わりの早さこそ、なんかリアルだなと思った。この変わり身の早さこそ民衆を民衆らしくしている。多くの民衆にとっては、当たり前だけど、自分の生活が一番で、国のこと=エルサのことは、二番以下なのである。もっと突き放していえば、大多数の国民にとってはエルサの処遇なんてどうでもいいのだろう。そしてそのような人間の性はいつの時代でも、またどの場所でも普遍なのだろう。
 だからこそ、「真実の愛」を見つけるのは難しいことであったし、エルザを救えたのは個人としてのアナであったのだろうと思う。
 そう、思い返せばアナは物語の最初から最後まで、王女としてではなく、一人の人間として姉であるエルザに向き合っていた。そのことの是非は置いておくとして、一人の人間の(そしてその人間はどこまでいっても他者である)心を救えるのは、あくまで個人としての「私」なのかなと、ここまで書いていて思いました。

 以上、酔いに任せて書いていたら長くなってきたし、これ以上纏まらない文章を載せるのもあれなので筆を置きます。おやすみなさい。