読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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日記のない日々について

  日記についての記事がホットエントリに入っているのが目に入った。そういえば、最近は手書き日記をつけていない。

 学生時代や社会人になってすぐの頃は、定期的にとはいかないが、小まめに日記をつけていた。転職の前後もそこそこ書いていたように思う。日々の出来事を記すというよりは、そのときの感情を書きなぐっていたように思う。書くことは好きだったし、書くためのノートも好きなので、日記用にロイヒトトゥルムなどの少し高めのノートの買い置きもしていた。買い置きのノートはまだの中にあるはずだし、書くことももちろん好きだが、それでも気づいたら書くことが減っていた。

 私を取り巻く環境が変わった。具体的には家族ができ、自分の部屋を失った。
 家族が出来たこと、自分の部屋と時間を失ったこと、これは喜ばしいことである。加齢の効果も加わって、自分自身の人生のことで思い悩むこと自体も減ったように感じる。

 しかし自分の内面と向き合うことが減った人生を寂しくも思う。ただでさえ流されがちな人間なのに、その傾向がますます強くなっている気がする。人生において成し遂げたいことなど特にないが、振り返ったときに何も残らないのも少し寂しい。記憶力が残念な人間なので、日記をつけていないと思い返せる過去もないのだ。人生が日々の選択の積み重ねである以上、私の今は過去の選択の結果であるはずなのだが、体感的には「なぜか、気づいたら、ここにいる」といったところである。

 久しぶりにノートを開いてみようか。現実的に毎日書くことは難しいだろう。日記をつけていること自体、家族に知られるのは恥ずかしい。自由に使えるひとり時間を捻出し、読書ではなく、書くことに充てるのだ。出来るかな?
 でもこの先、私の人生はまだまだ別の局面を迎えるはずだ。そのときに今の私を忘れ去ってしまいたくない。今の自分の抱える焦燥、将来への漠然とした不安、ふと感じた幸せ、発見した自分にしか有効でないライフハック、低空飛行の毎日を送っていること、そんなことを残しておきたい。こんな私でも、今を生きているのだ。

手書き日記に「書くこと」について書いてみた - 読書録 本読みの貪欲

↑自分のブログを漁ると過去の手書き日記が出てきた。こうして振り返ると恥ずかしいものがありますが、こうして振り返ることが出来るのもブログという形で人生を残してきたからなのだろうなと思う。このブログもなんと6年目である。