読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

村上春樹訳のディストピア小説 マーセル・セロー『極北』  「遠くへ行きたい」 #地元発見伝

「遠くへ行きたい」 #地元発見伝

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遠いところに行きたい。どこか遠いところへ。

よく思う。最近は、どこへ行っても結局おんなじ、などと冷めた風に思ったりもする。でもやはり、どこか遠くへ行きたい。いろいろな国へ行きたいし、いろいろなものを見たい。

結局、私が本が好きなのも、どこか遠いところへ行きたいという気持ちに繋がっているのかもしれない。
虚構世界ほど今私のいる場所よりも遠いところはないだろう。
いや虚構世界の話を持ち出さなくとも、本の中に描かれた世界を想像することは旅することに少し似ている。本の中の主人公は時に、日本以外の国に住み、神道や仏教以外の宗教を持ち、私とは異なった生活風習の中を生きている。本を開く間だけ、私は主人公に同化し、別の世界を生きることができる。

今までに行ったことのある場所で、もっともに位置していたのは宗谷岬だ。「日本最北端の地」モニュメントの前で写真を撮ったのを覚えている。あと11月だったのにものすごく寒かったことも。

https://www.google.com/maps/preview?q=45.517606%2C141.9206
稚内市, 北海道国道238号線
宗谷岬ではgoogleマップの写真が撮れなかったので近くの道からの風景です。海。)


そこより北に広がる世界を私の肉体は知らない。しかし私の想像力は知っている。例えばマーセル・セロー『極北』の世界。
もっとも私はこの世界に行きたいとは思わない。そこは冬が一年の大部分を占める極北域に広がるディストピアだ。

マーセル・セロー『極北』

ファンタジーを読みたいと思い、手に取った一冊。
ファンタジーなのかといわれると良く分からない。現実世界ではない世界を舞台にしているが、その虚構世界はあくまで現実世界に立脚している。
物語は、読者のいる今この世界より、数十年ほど未来の世界で進行する。その未来は実際に起こってもおかしくないのではないかと思うような未来である。
温暖化による洪水、飢饉、疫病。全世界的に起こる戦争。文明は崩壊する。人々は食糧を求め、北へ北へと移動する。そして極北で文明社会に背を向けて生きてきた主人公たちと出会う。

文明崩壊ものではコーマック・マッカーシーの『ザ・ロードに衝撃を受けたが、『極北』もなかなかに衝撃的だ。
どちらの作品も、文明崩壊後生き残った者たちを描いた作品だが、『ザ・ロード』は食糧や安息の地を探し求める者を主人公としているのに対し、『極北』は安息の地の生き残り主人公にしている。

安息の地にいるのならいいじゃないか、とはいかないのがこの物語の面白いところ。
安息の地――主人公一家の暮す小さな町に大量の難民が押し寄せてきたとき、町の秩序は崩壊し、そこは新たなディストピアとなった。奪略、強盗が横行し、一人また一人と殺される。あるいは飢え死にする。温暖化が進んだといっても極北の自然は厳しい。
その自然に適応できたのが、実際的な生きる術を身につけた主人公、メイクピース。穏やかで思想的な人間であった両親、兄弟は皆死んだ。
安息の地で一人生き残ったメイクピースはどうするか。
それはこの本を読んでみてほしい。ものすごく面白い。まったく予想のつかない展開の連続に驚いた。

ちなみにメイクピースは30代の女性。精霊の守り人バルサと同年代だ、と読んでいて思った。この年代の女性が主人公のファンタジーや冒険ものは珍しい気がする。新鮮。嬉しい。
著者がこの年代の女性を主人公とした意図はなんとなくわかる。生む性としての女性が絶滅の物語には必要だったのだろう。このあたりのことは、村上春樹による「訳者あとがき」にもちらりと書いてある。

徹夜小説

実際に徹夜はしていないのだが、徹夜小説並みに面白い。
夜八時半から読み始め、二時ぐらいまで夢中で読んだ。水も飲まなかったし、トイレにも行かなかった。夜のうちに一度洗濯機を回そうと思っていたのだが、物語の引力に負けて読み続けた。翌朝、目が覚めると、時計で時間を確認する前に本を開き、またしても一気に読んだ。昼前に読了。ハードカバーをずっと持っていたので腕が痛い。

時々、私は、世界が大きく変わる転換期に生きているのではないか、との気持ちに襲われることがある。
例えば50年後、世界はどのような姿形をしているのだろうか。今日と同じ姿をしていないことは確かだ。
もし未来がこの『極北』の世界のようになってしまったら。
私は間違いなく文明社会の残骸のなかで飢死にするだろう。私は自然の中で生きていけるだけの体力もないし知恵もない。私が持っている知識だって、文明社会で通用する知識であって、社会が崩壊したときに役立つものではない。嫌だなあと思う。
より良い未来を想像してみる。想像できる幸福は、結局のところ過去の幸福の切り貼りにすぎないことに気づく。

この本は面白い。その一方で、この虚構世界は、強烈な問いを現実世界に生きる読者に突きつける。
人間はいかに生きるべきか。何故生きるのか。何故絶望すると分かっていながら生命をつなぐのか。
その答えはまだ見つからない。

極北