読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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「定番だけじゃ人生つまらなくない?」『ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。』

今週のお題「読書の夏」


『ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。』、長い題名だ。だけれども、惹かれる題名である。
 今のうち、とはいつのことか。それははっきりしている。14歳。河出書房出版社の「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。14歳のために書かれた本を、一回り近く年をとってから読む。私が14歳のころには、このシリーズはなかったか、もしくは、自分の狭い世界には存在しなかった。こんなシリーズが世にあることを知ったときには、私はもう大学生だったし、だからこそ、このようなシリーズものの本を手にすることに抵抗はない。中学生のころの自分は、「14歳の世渡り術」なんて本、恥ずかしくて手に取れなかっただろうと思う。今の私が、20代向けに書かれた人生論を手に取ることができないように。

30人の読書案内

 さて、この本。本のための本である。本のための本は私の大好物だ。

 帯にあるように、この本は「30人の厳選!読書案内」である。30人の著者が、一人一冊、オススメの本を挙げて、その本にまつわる、もしくは、読書に関するエッセイを書いている。著者一人あたり6ページ前後で、気軽にぱらぱらと読める。が、その著者らが挙げている本の多様さが面白い。少し長いが、目次をひこう。

森に分け入る『問題があります』 角田光代
絶望と紙一重の希望『幼年期の終わり』 森達也
ヤバイくらい胸に迫る、リアルで残酷で優しい物語『神様のみなしご』 金原瑞人
みじかく・ぴかっ『博物誌』 工藤直子
生きる、生き生きと!『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』 野中柊
これはもう本ではない『フラニーとズーイ』 吉田篤人
波乱万丈の痛快な小説を楽しもう『宮本武蔵』 木田元
ひゃっけんでいこう『東京日記』 ホンマタカシ
手紙の面白さ『龍馬の手紙』 出久根達郎
私の一生をきめた本『刺のないサボテン』 柳澤桂子

恋愛はしなくてもかまわない『肉体の悪魔』 山崎ナオコーラ
14歳に薦める本『若きウェルテルの悩み』 長沼毅
失敗は人生の障害ではない『あめりか物語』『ふらんす物語』 橘木俊詔
こんな大人もいるんです。『中島らもの特選明るい悩み相談室 その①~③』 中江有里
堂々と間違えろ!『COTTON100%』 雨宮処凛
嘘のない”むき出し”に触れる『賭博黙示録 カイジ』 小池龍之介
顔で笑って心で怒る君のために『火の鳥4・鳳凰編』 岡ノ谷一夫
世界にも自分にも誠実であるとは『本当の戦争の話をしよう』 服部文祥
世界一タフな男『冒険者カストロ』 森絵都
これさえあれば、生きていける『おいしくできる きちんとわかる 基本の家庭料理 和食編』 新井紀子

我々は、遺伝子の乗り物にすぎないのか?『利己的な遺伝子』 貴志祐介
『虚無への供物』中井英夫・その人々に 『虚無への供物』 恩田陸
哲学が哲学に引導をわたした『論理哲学論考』 村上陽一郎
数学書ですが、恐れることはありません。『ゲーデルは何を証明したか――数学から超数学へ』 大澤真幸
マスコミって何だろう『タブーの正体!――マスコミが「あのこと」に触れない理由』 石原千秋
推理小説から考えるための方法を学ぶ『オリエント急行の殺人』 島田博巳
珍日本を訪ねて・・・・・・『珍日本気候 東日本編/西日本編』
常識と思われているものは、永遠には続かない『共産党宣言』 佐藤裕
痛いけど体の芯に届く言葉『東京放流』 本田由紀
世渡りなんぞ、やめなさい。『聖書』 上野千鶴子


 どうだろうか。普通の読書案内と違い、小説あり漫画有り、伝記有りレシピ本ありとバラエティー豊かな顔ぶれである。
 この中に、14歳、中学生のころに読んだ本が何冊あっただろうか。題名に心当たりがある本は何冊かあった。でも、それらのほとんどが高校生、大学生のころに読んだ本である。中学生のころに読んだ記憶があるのは、クリスティーの『オリエント急行の殺人』のみ。推理小説ばかり読んでいたあの頃。確かに、ネタばれされないうちにクリスティーの本たちを読めたことは僥倖だった。情報の溢れた今、どこにネタばれが潜んでいるかわからない・・・・・・ほかには、『火の鳥』も14歳までに読んでいる。小学生のころだった。正直、あまり良くわからなかった。
 
 さて。自分がもし14歳なら、と考えてみる。何冊か手を伸ばしてみたい本がある。しかし一方で、もう一度、いやもう百度、14歳をやり直したとしても絶対に手に取らないだろうなと思う本もある。ヴィトゲンシュタインなんぞ、大人になった今ですら、読みこなせそうもない(いや、大人になった=老いたからこそ読めないのかもしれない、という可能性もあるが)。
 だが、どのみち現実の私にはもう二度と14歳の頃はやってこない。

14歳のころの読書と今の私の読書

 14歳のころと大人になった今との読書の違いについては、この本に収録されている角田光代のエッセイに書かれている。このエッセイ、丸ごと引用したいくらい、今の自分が14歳の自分に言いたいことを代弁してくれている。彼女は14歳の読者に、まずはなんでも読んでみることを薦める。「人から勧められずに、自分自身で本の森に分け入って探してほしい」と。14歳という若さには、本を読むための体力があるのだから。「体力があるからどれだけさまよったって問題ない」
 そう、大人になって気づくのは、本を読むのにも体力がいるということ。そしてその体力は年々、衰えていくということ。

 分厚い本、難解そうな本、登場人物の名前を覚えられない本、旧仮名遣いの本などは、あとで時間のあるときにまとめて読もう、と思う。そして時間のあるときなど、そうそうはないのだ。十代のころより自分の好き嫌いがはっきりしているから、手にとる本も限られてくる。たちの悪いことに、ものすごく好きな作家の本だからこそ、読まないときもある。「これはぜったいにおもしろいに違いない。だから今読まなくてもいい」とあとまわしにする。「好き」に没頭する体力も、かなしいことに減ってしまうらしい。  (p12)

 そうなんだよなあ、と思う。難しそうだから大人になってから読もうと思っていた本の数々を思い出す。時間があれば読みたいと思っている、脳内積読本のタイトルを思い浮かべる。
 でも私はまだ20代だ。まだ読める体力が体の中には残っているはずだ。時間だって持て余している。読もう読もうとここ数年思っている本(たとえばモンテクリスト伯。読んでみたいけど長い・・・)、そろそろ読み時かもしれない。

 さて、最後に。今の自分なら14歳の自分に何をすすめるだろうか。
 あのころの自分はとても狭い世界に生きていた。だからこそ、生きることがとても辛かった。世の中は広く、そして世界の見方はいろいろあると伝えたい。けれどそのための一冊となると・・・・・・・辺見庸『もの食う人々』西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』ブルガーコフ巨匠とマルガリータ、この三冊でどうだろう?
 読者の皆さんは、14歳だった私にどんな本を勧めてくれるだろうか。

ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 (14歳の世渡り術)