読書録 地方生活の日々と読書

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あの年の冬はもっと寒かった 鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』

感動とは何か。
世界観が反転するような心の動きである。
10年程前に流行った「感動=泣かせる」の図式を私は信じない。
そんな私が大学生になってから最も「感動」した本のなかに、坂口安吾『戦争と一人の女』がある。
2012年映画化もされた。
残念ながら見る機会を逸してしまった。
ちなみに『続・戦争と一人の女』は同じ物語を男女逆の視点で描いたものである。
並べて読んでも味わい深い。

安吾が教えてくれた戦争

もちろん歴史としての戦争は知っていた。
祖父母から戦時中の話も聞いていた。
授業などで戦争責任についての議論も行ってきた。
それでも安吾が示した、戦争中の男と女の甘美で破滅的な関係に感動した。
教科書に印刷された写真や暗記させられた語彙たちにも、暖かい居間で聞く祖母の昔話にもないものが、この物語にはあった。
圧倒的な生のリアリティ。
死を前提とした関係のなかにある、人間の愚かさと逞しさ。
生きるとは、生きることだ。
机上で学んできた「戦争」がにわかに色を帯びた。
ひりひりとした生の感覚がこの時代にはあったのだろうと思った。
その感覚をもたらしたものは何だろうか。
それは日々の生活、生きるための活動、全般なのだろう。
生きるとは、生活すること。吉田健一も言っていた気がする。
しかしその生活を形作っていた細部は忘れ去られようとしている。
細部が忘れ去られてしまうと、かつての生活自体、そのリアリティーも忘れ去られてしまう。
戦争・戦後の感覚までもが残らない。
残るのは、無味乾燥とした明朝体で書かれた文章の羅列と損得勘定の数値だけだ。

生活の細部を知る。

本題。
この『誰も「戦後」を覚えていない』という文春新書には、「日本も個人も一番苦しかった時代」における生活の細部が書かれている。
目次をのぞく。
「風呂と風呂敷――それを盗みとは言わない」「間借り――監視し、監視される生活」といった言葉が並んでいる。
当時の当たり前がそこにはある。
どれもが二十一世紀からは遠い。
預金封鎖の顛末は、初めて知った。
またその頃の冬は寒かったらしい。
最近も寒い日が続くが、戦時中の昭和20年1月も平均気温は1.1度だったらしい。
戦後の26年には都心で39センチも雪が積もったそうだ。
もちろん防寒着の不足もあろう。
そして「敗戦のレシピ――代用食を美味しく食べる方法」には、貧しく食べるものがなくとも、それだからこそ日々の食事を美味しく食べようとする思いがあったことが書かれている。
少し長いが引用。

その単調なこと。来る日も来る日も同じ食事なのだ。腹がいっぱいになる、ならないもあったが、こう単調では〈食べられない〉のだ。飢えていれば何だって食べられる、毎日いもでもいい――そんなことはない。近代の飢えは、贅沢でも何でもない、〈とても食べられない〉飢えというのがあるのだ。このことがいまの人にはなかなかわかってもらえない。 P34

私は戦争を知らない。
戦後の生活を知らない。
でも知って、次世代に伝えなければいけないことである。
それは多面的で、個人的で、一言でまとめられるものではなくて、だから貴重なものである。
生活は既成概念では分からない。
生活が分からないとは、人間が分からないということだ。
人間とは何かを知りたい。

今年上半期ぐらいの期間のキーワードとして「生活」を意識してみようと思う。

誰も「戦後」を覚えていない (文春新書)