読書録 地方生活の日々と読書

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スティーヴンスン『宝島』【読書感想】

 ミスター・トリローニは、スクーナーの出航準備を監督できるよう、波止場の旅亭に泊まっていた。そこまでは歩いたが、うれしいことに道は岸壁ぞいで、そこには大きさも艤装も国籍もとりどりの船がひしめいていた。水夫たちが、ある船では鼻歌まじりに作業をしており、ある船では、ぼくの頭上はるか、蜘蛛の糸みたいに細いロープにつかまっていた。今日までぼくはずっと浜辺で暮らしてきたのに、いまはじめて、海と間近に接した気がした。タールのにおいも、潮の香も、まるで新鮮だった。目にはいる見事なこしらえの船首像は、どれもみな遠い潮路を渡ってきたのだ。

 昔から海洋冒険小説が好きだった。特に大好きだった一冊がティーヴンスンの『宝島』。多くの人の手によって日本語訳もされており、一度は読んだことのある人も多いだろう。子どもの頃に読んだのは福音館書店版(坂井晴彦訳)だった。今も実家にはあるはずだ。現在、手元には訳者違いで2冊ある。鈴木恵訳の新潮文庫版と村上博基訳の光文社古典新訳文庫版だ。なぜ2冊持っているかといえば、本屋で見つけると懐かしくなりつい財布の紐が緩んでしまうからだ。それに2冊とも表紙のデザインが良い。手元に置いておきたくなる。
 少し前に光文社古典新訳文庫版で『宝島』を読み返したので、忘備録代わりに感想を書いておこうと思う。

 この本を手にする前までレ・ミゼラブル 』(ユゴー著)を読んでいた。『レ・ミゼラブル 』は文庫で5冊分という大長編のうえ、なかなかストーリーが進まないので読み進めるのに骨が折れた。脇目をふらず、一気に読んでしまおうと思っていたが、つい気分転換がしたくなり手に取ったのが、この『宝島』だった。
 気晴らしのつもりだったので、ぱらぱらと読みはじめる。読みはじめてすぐに物語が動き出す。ちゃんと一行目から主人公が登場する(レ・ミゼラブルは主人公が出てくるまでに100ページほど読まなければならない) 。そして一気に引き込まれる。


 主人公ジムは、海の近くの宿屋の息子。両親が営む宿屋に一人やってきた長期宿泊客は、いつも酔っては古い船乗りの歌をがなりたてている。彼が病で息を引き取ったのち、滞納していた宿泊料を徴収しようとトランクを開けると、出てきたのは異国の硬貨と「宝島」の地図。ジムは村の名士でたる医師や大地主のトリローニと共に宝島を目指すが、街で雇ったコックをはじめとする船員たちには何やら怪しい過去があった。
 
 ストーリーは単純だ。お宝を目指す主人公たち。そこに立ちはだかる様々な困難。勇気と無鉄砲さで、困難を打ち破っていく主人公。
 ストーリーの基本ともいえる構造の物語だが、大人の今読んでも十分に面白かった。
 主人公の困難への対応の仕方はなかなかに強引であり、若さゆえの無鉄砲さで、思慮深い大人たちの危機を救っていく。キャビンボーイにすぎないジムが、立派な大人である「紳士」たち相手に死闘を繰り広げる様は痛快である。最も、大人になってから読むと、自分勝手に猪突猛進するジムとは、一緒に仕事はしたくないな、などとも思う。

 読み返して気がついたのは、この物語の面白さはストーリーだけではなく、どこかダメなところのある登場人物たちの姿や、彼らの微妙な関係性の描写にもあるなということだった。
 出てくる大人は立派な人もいるが、それは少数で、多くのものは、肝心なところで怖気付いたり、おしゃべりすぎたり、二枚舌だったりする。現実と一緒だ。そして彼らは仲間同士であったとしても、決して一心同体ではない。それぞれに考えがあり、微妙な対立を孕んでいる。出船前の船長と地主の、大人同士らしい対立の様子など面白かった。仕事をしているとときおり目にする「あの」感じが、よく表されていると思う。

 人間心理の微妙な機微の書き分けはさすが、ジキル博士とハイド氏の著者だなと思う。著者の書いた大人向けの小説ももっと読んでみたくなって、『幽霊船』という小説を買ってしまった。2021年初の古本購入であった。

宝島 (光文社古典新訳文庫)

宝島 (光文社古典新訳文庫)