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詩的な戦争映画。『ダンケルク』【映画感想】

 2017年の公開時に見過ごしてから、見たい見たいと思っていた映画をようやく鑑賞した。クリストファー・ノーランが監督・脚本・製作を手がけたダンケルクである。第二次世界大戦中の英仏軍のダンケルク撤退戦を題材にした戦争映画だ。戦争映画はあまり見たことがなかったのだが、「撤退戦」をメインにした映画ということで興味を持った。映画の予告編を見るまでダンケルク撤退戦のことはほとんど知らなかったのだけれど、それがきっかけとなってインターネットで軽く調べたことを覚えている。
 その後に読んだイアン・マキューアンによる『贖罪』という小説にこのダンケルク撤退戦が描かれてており、「やっぱり『ダンケルク』観ておかないとな」という気持ちになった。
 しかし、なかなか鑑賞するきっかけがなく、公開から2年以上が経ってしまった。このままではいつまでも観られないので、この正月休みのやることリストに「『ダンケルク』鑑賞と書き入れた。

ダンケルク』を観た。

 引き込まれる映画だった。観終わったあとも強い印象が残っている。

 変わった映画である。戦争映画にも関わらず、そこには主人公がいない。ヒーローも敵もいない。ストーリー的な面白さはないが、しかし、とても面白い。
 フィクション的でもノンフィクション的でもない映画だ。体験としては、詩を読んだ時に近い。戦場の生きるか死ぬかの瀬戸際を描いているのに、鑑賞後は、石原吉郎さんの詩を読んだ時のような静謐な感覚を覚えた。

 詩的と感じた理由のひとつは、戦争映画にも関わらず、血生臭い表現が徹底的に避けられているからだろう。血や内臓はほとんど出てこない。スプラッタな場面が苦手な私も最後まで画面から目を離せなかった。このように戦争を描くことの良し悪しはあるだろうが、この映画のひとつの味になっているとは思う。それから奪略シーンも一切なかったことも気になった。

 また構成が凝っており、イギリスへ撤退する歩兵の1週間、兵士たちを引き揚げるため徴用された船の船長とその息子たちの1日、そして敵軍から船や兵士を守る航空隊の1時間が、並列され、等しく1時間46分という映画の時間に収められる。そしてそれぞれの時間が最後は一点に収束する。主人公の行動に焦点をあてた、ストーリー性を重視した映画ではこのようにはいかないだろう。

 しかし何よりも詩的な要素を高めているのは、この映画の「匿名性」だろう。登場人物たちが名前を呼ばれることはほとんどない。さらに象徴的なのはドイツ軍の描かれ方で、彼らは単に「敵」とされている。そして「敵」の顔が映ることはない。
 この高い匿名性の結果として、『ダンケルク』で描かれた戦争は「天災的」である。
 特に印象深かったのは冒頭の浜辺のシーン。

浜辺ではイギリス軍兵士たちが、船を待つために整列している。と、そこに敵軍の爆撃機が降下してくる。唸るエンジン音。一斉に伏せる兵士たち。機銃による攻撃。飛び散る砂。憐れにも撃たれ、飛ばされる兵士。やがて轟音は過ぎ去り、浜辺には静寂が戻る。すると伏せていた兵士たちは−−撃たれてしまった不運な幾人かを除いて−-立ち上がり、何事もなかったかのように、再び整列する。

 そんなシーンである。「天災的」である戦争で、生死を分かつものは運である。上記のシーン、生き延びた兵士と撃たれてしまった兵士、彼らの間には何の違いもない。ただ少しばかり運が良かったか、あるいは悪かったかの差があるのみだ。
 大いなる運命の前に人間は無力である。ランダムに生死が決まる戦場でヒーローは生まれるだろうか。
 否、とこの映画は言う。
 では、このダンケルクという映画は、ヒーローの代わりに何を描いているのか。それは匿名の、無名の人々の意志である。

 それは故郷への帰還を願う一人ひとりであったり、自分の船で兵士の救出へ向かう勇気ある民間人だったり、自分の命を捨ててでも仲間を1人でも多く助けたいという航空隊員だったりする。
 彼らは大いなる戦争の前に無力である。戦争は簡単に個人を抹殺する。しかしその戦争に立ち向かったのもまた彼らなのである。この映画は、非常な運命に立ち向かっていった無名の人々の映画である。だからこそ戦争映画にも関わらず、多くの人々に支持されたのだと思う。私もこの映画を観て良かったと心から思う。

 戦争映画ってすこし苦手だな、という方にもぜひ見ていただきたい映画。おすすめです。

ダンケルク(字幕版)

ダンケルク(字幕版)

  • 発売日: 2017/11/10
  • メディア: Prime Video