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ディストピア小説を読む 『われら』ザミャーチン(松下隆志訳)【読書感想】

 オーウェル1984年』に影響を与え、
 ハクスリー『すばらしい新世界』が影響を認めない
 ディストピアSFの先駆け、待望の新訳

 ザミャーチン著『われら』光文社古典新訳文庫の帯である。ザミャーチンという著者も、『われら』という題名も聞き覚えのないものだった。しかし本屋でこの本に出会い、帯の文句に惹かれ買ってしまった。私はディストピアSF小説が大好きである。

ディストピア小説の魅力とは何か

 ディストピアSF小説の魅力とは何か。それは社会と個人の関係の変化によって物語が進んでいくところである。
ディストピアSF小説では、今現在とは異なる体制の社会を舞台にしていることが多いため、必然的に「社会そのもの」についての描写が多くなる。そして描かれた社会にはそれぞれの著者によるオリジナリティが詰まっており、その設定を味わうだけでも面白い。例えば、この『われら』の社会では、すべての人間は〈単一国〉と呼ばれるその名の通り地球全土を支配しているシステムに組み込まれている。〈時間タブレット〉により起床就寝や食事時間、咀嚼回数まで管理されている管理社会だ。しかしその一方で、〈単一国〉社会には1日2回1時間ずつ〈個人時間〉が与えられてもいる。管理社会における奇妙な空白により、物語に可動性が与えられている。それから人間たちの住む都市は〈緑の壁〉で仕切られており、その先には大いなる自然が残されているし、太古の生活について展示している博物館には《アパート》の一室が展示されている。そしてこれらの設定は物語で大きな役割を果たしていく。
このような設定の妙を楽しむのが、ディストピアSFのひとつの醍醐味だろう。

 もちろん小説は設定だけでは進まない。ディストピアSF小説の一番好きなところは、オリジナリティ溢れる別世界で、私たちと同じ「人間」が右往左往するところである。もっとも「人間」といっても現代人とは必ずしもイコールではない。たとえば有名なディストピアSF小説すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー著)では、人間は工場で受精卵から選別され、製造されており、もはや種として現代人と同一視していいのか疑わしい。この『われら』の世界の人間にしても生殖は完全に管理下に置かれており、家族という概念も恋人という概念もない。人生観も私たちとは異なっている。
 それでも彼らは人間である。私たちは彼らに共感あるいは反発しながら物語を読み進める。彼らと私たちの社会の違い、彼らと私たちの違いを慎重に比較しながら。そして物語の進行によって変化していく、社会と個人の関係のダイナミクスを見守っていく。

『われら』を読む。

 物語の主人公は、D-503(Dはキリル文字)。異星人にコンタクトを取るための宇宙船〈インテグラル〉の造船技師で数学者だ。この物語は、異星人「われら」のことを知ってもらうために宇宙船に乗せる手記として綴られている。
 彼は〈単一国〉の信奉者であり、管理社会に対し何の疑問も持っていない。しかしある日、ウォーキング(〈単一国行進曲〉に合わせ、四人一列で、一糸乱れず行進すること)の最中に、奇妙な女I-330と出会い、彼女に誘惑されていく。しかし彼女には、うちに秘めた計画があって、主人公は否応なく巻き込まれていく。

 「管理社会VS個人」というディストピアSFとしてはよくある構図の物語ではあるのだが、しかしこの物語は一筋縄ではいかない。そこに恋愛要素が混ざってくるからだ。
 実は主人公にはI-303の他にセックスの相手として登録されたパートナーO-90がいる。主人公D-503は、O-90のことを「かわいいやつ」とは思っているが、その感情は所謂恋愛感情ではなく、その証拠に彼女のことは親友と共有しているのだ。しかし彼女はそのように割り切っている訳ではなかった。一方で、恋愛経験というものを経験せずに大人になった主人公だが、I-303に対しては強烈な独占欲を抱くようになっていく。
 「主人公-謎の女-恋人-親友」という関係性の中で物語は進んでいく。機械的な生活を送る、どこか機械的であった主人公もこの関係性の中で徐々に感情を露わにしていく。
 読んでいる途中で「あれ、この本もしかしてディストピアSF世界を背景にした恋愛小説?」思ったほど、男女の感情のやりとりはしっかりと書かれている。そしてその誰かを思う気持ち(とその暴走)が、物語を駆動させるエネルギーとなっているのだ。

 この恋愛感情によって大きく物語が左右されるディストピアSFというのは意外と珍しいのではないかと思う。後発の作家たちによるディストピアSFでは、もっと純粋に「管理社会と個人」に焦点を当てているものが多い。「個人と個人」の物語である恋愛は、後景に追いやられている。「個人と個人」にも重点を置いている本作は、テーマが散漫であるようにも思われるかもしれない。しかし社会の構成員が個人であり、実際の私たちが行動を左右しているのが身近な人である以上、恋愛感情をしっかりと書いた『われら』は、ある意味、現実世界の人間の在りように忠実になのかもしれない。

 簡潔な文体で、少し読みにくいところもあるが、ディストピアSF好きには是非読んでいただきたい一冊。確かに多くの作家に影響を与えたらしく、読みながら今まで読んできたSF小説が頭によぎっていった。

今まで読んできたディストピア小説たち

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われら (光文社古典新訳文庫)

われら (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ザミャーチン
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: 文庫