読書録 地方生活の日々と読書

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『マーダーボット・ダイアリー』(マーサ・ウェルズ著)【読書感想】

 3連休。読むのを楽しみに積んであったSF小説『マーダーボット・ダイアリー』(マーサ・ウェルズ著 中原尚哉訳)をついに読んだ。一人称が「弊機」の殺人ロボットが主人公の小説だと聞いて興味を持ち、2ヶ月ほど前に買ったものだ。いざという時に読もうと、積んであったのだが、いざという時は中々来ず、どこにも行く予定のないこの連休、ついに手に取ったのだった。創元SF文庫から上下巻で出ているが、1日1冊ペースで一気に読んだ。購入時、本屋さんで上巻だけ買うか、上下巻まとめて買うか迷ったのだが、まとめて買っておいてよかった。

 上巻を開いてすぐに物語に引き込まれた。主人公「弊機」は、人型警備ユニット。非有機部品からなるいわゆるロボットとは違い、構成機体には有機部分とクローン脳を持っている。「弊機」には自我があるのだ。その自我を持った弊機の1人語りとしてこの物語は語られるのだが、この語りが抜群に面白い。語り手の「弊機」は、人の目を見ることが苦手な対人恐怖症、構成機体にも関わらず表情を隠すのが下手で、好きなことは一人で連続ドラマを視聴すること。いわゆるSFの主人公然とはしていない。冒頭からして彼彼女(弊機は性を持たない)は言う。

 統制モジュールをハッキングしたことで、大量殺人ボットになる可能性もありました。しかし直後に、弊社の衛星から流れる娯楽チャンネルの全フィードにアクセスできることに気づきました。以来、三万五千時間あまりが経過しましたが、殺人は犯さず、かわりに映画や連続ドラマや本や演劇や音楽に、たぶん三万五千時間近く耽溺してきました。冷徹な殺人機械のはずなのに、弊機はひどい欠陥品です。

 物語の舞台はずっと先の未来で、舞台は未開発の惑星や放棄されたテラフォーム施設。登場人物は、人間や強化人間や高等な知能を持った宇宙船。SF的世界を正面から書いているにも関わらず、難解さはなく、並行して読んでいる2001年宇宙の旅』(アーサー・C・クラーク著)よりもずっと読みやすい。それはSFにつきものの技術的説明を「弊機」の一人語りという仕組みで巧妙に回避しているからであろう。弊機は警備ユニットであり、備わっている教育モジュールは貧弱なものである。だから読者に説明できない。SF内世界における技術的整合性にそこまで興味のない私のようなSF初心者には、とても易しい仕様となっている。
 その一方で、この『マーダーボット・ダイアリー』の世界観は、独特のリアリティを持って私たち読者に迫る。宇宙が身近となった世界では、国家はほとんど意味を持っていないようだ。国家の代りに惑星社会を支配しているのは、私企業である。統一された貨幣があり、ビジネスがある。保険の仕組みも社会を構成する重要要素であり、未開惑星の研究・開発を行う者はみな、保険をかけている。そもそも主人公の弊機も、保険会社の所有であり、保険加入者に貸し出し、被保険者を守ることで保険の支払いをしなくて済むようにするために存在している。このような現代の資本主義社会、グローバル社会と地続きの社会を舞台にしており、国家間競争が宇宙開発にまで影響を及ぼしている一昔前のSFより、よほどリアルに感じた(余談だが、私は先日、殿堂入りSF小説火星年代記』(レイ・ブラッドベリ著)を読み、その登場人物たちの愛国心に思わず苦笑してしまった。火星にまで来ておきながら、祖国の戦争を気にかけるとは)。

 私は長編小説と思いこの本を買ったのだが、実際は上下巻の文庫本に中編小説が4作収録されている。それぞれの物語は独立しており単体として楽しめる。が、冒頭でも書いたとおり、私は一気に読み通してしまった。
 SFを読む楽しみが詰まった小説で、各種SF賞を受賞しているというのも納得である。