読書録 地方生活の日々と読書

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『浮遊霊ブラジル』津村記久子著【読書感想】

 世界には物語があふれている。読みたい本は尽きることがない。過去の名作はいくらでもあるし、毎月のようにベストセラーは生まれ続ける。それらをすべて読むことは不可能である。私は本が好きだが、別に速読家ではないし、すべての時間を読書に費やせるわけではない。必然的に取捨選択を迫られる。ある本を読むということは、ある本を読まないという選択をすることなのである。そう考えると、現役作家が現代日本を舞台にした小説はもう読まなくていいのではないかという気がしてくる。現代日本については、現実でお腹いっぱいだ。事実、最近は現実逃避するように、SFや海外文学を手にすることが増えている。
 もちろん、現役作家が現代日本を舞台にした小説が面白いことは分かっている。むしろベストセラーとして本屋が売り出している本が面白いのは分かり切っている。とすると、天邪鬼な私はこう考えてしまう。面白いことがわかり切った本を読む必要性はあるのか。エンタメと癒しを求めるときは、私は森博嗣の小説を読むと決めている。

 それでも今回、現役作家が現代日本を舞台にした物語(とタイトルと著者名から想像した)が収められた一冊の本を手に取ったのは、それが薄い短編集だったからだ。偶には、貴重な人生を、最近滅多に読まなくなったジャンルの小説に割いてもバチは当たらないだろう。

『浮遊霊ブラジル』を読む。

 津村記久子さんは好きな作家の一人だ。デビュー作の『君はそいつらより永遠に若い』は本棚の一生手放さない予定の本コーナーに置いてあるし、『ポトスライムの舟』を読んだときは、小説の主人公の金銭感覚や仕事に対する感覚にこんなにも共感できるものなのかと驚いた。
 他にも複合印刷機との闘いを描いたアレグリアとは仕事はできない』や雨の日に早く家に帰りたいサラリーマンたちを描いた『とにかくうちに帰ります』という本を読んできたので、女性を主人公にしたお仕事小説を書く人という印象があった。あと新聞にサッカーファンの人々の物語を連載していたなという印象があった。

 そんなイメージを持っていたので、この短編集の冒頭の小説『給水塔と亀』を読んだときは驚いた。定年退職した男が、地元に引っ越してくるという話だったからだ。
 他にもSFっぽい設定の短編があったり、3作品で死後の世界を舞台にしていたりと、良い意味で著者に持っていたイメージがひっくり返った。大学生の淡い恋愛から定年後のおじさんの毎日まで。舞台は駅近くのうどん屋からブラジル、はたまた地獄まで。幅に驚いた。
 この短編集には7つの短編が収められているが、特に印象に残ったのは『運命』『地獄』という二編である。

 『運命』は、「やたらと道を聞かれやすい」という「運命」を持って生まれた主人公の女性が、色々なところで道を尋ねられるという「だけ」の物語だ。浪人して3回目の大学受験の日に、同じ大学を受験すると思われる現役の女子高生に乗り換えについて尋ねられたところから物語は始まる。人の好い主人公は、同じ大学を受けるライバルに道を教えたくないという気持ちを持ちつつも、丁寧に道を教える。他にもさまざまなシチュエーションで道を尋ねられては(インフルエンザにかかっている時や初めて訪れた海外の場所でも)、教えてしまう。だんだんとシチュエーションはありえない、SFじみたものになっていくのだが、主人公は変わらずその運命を受け入れる。何故彼女はそんな運命を追うことになってしまったのか。
 この運命に対する淡々とした姿勢を好ましく思った。

 『地獄』は、文字通り死後地獄に落ちた女性の話だ。なぜ地獄に落ちたのかといえば「飽食の罪」ならぬ「飽・物語の罪」によってである。落とされた地獄は「物語消費しすぎ地獄」。「グーテンベルク活版印刷の発明以降、他の悪徳に関しては決め手に欠けるけれども、物語に関してだけは貪欲、という人がじわじわと増え続け、長い審議ののち、地獄の一部門として加えられたのだという」。地獄で主人公は、自分が消費してきた物語の登場人物に代わり何度も殺されたりしながらも、担当鬼の「権田さん」や一緒に地獄に落ちた友人の「かよちゃん」との地獄ライフを淡々とこなしていく。それにしてもこの「物語地獄」という設定が面白い。そうか、物語の消費のしすぎは罪深いことなのか。確かに現実を生きるよりも、物語を消費するほうがよっぽど楽しい。私も落ちてしまうかもしれないな、と読みながら思った。

 また読んでいて一番、津村記久子さんらしいと思ったのはうどん屋ジェンダー、あるいはコルネさん』なのだが、「運命の受容」と「個人的な怒り」の絶妙なバランスに私は「津村記久子」らしさを見出しているのだということに気が付いた。この物語も好きだった。

浮遊霊ブラジル (文春文庫)

浮遊霊ブラジル (文春文庫)

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