読書録 本読みの貪欲

地方在住三十路女の読書日記。趣味が読書と言えるようになりたい。本のほかには犬と魚が好き。

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Wシリーズに繋がる物語。『女王の百年密室』(森博嗣著)【読書感想】

 15年ぶりぐらいの再読。森博嗣さんの女王の百年密室。我が家には何故か単行本と文庫本の両方がある(『女王の百年睡魔』も二冊ある。『赤目姫の潮解』は単行本だけ。文庫版解説はブログ「基本読書」の方が執筆されているので、文庫でも欲しい気がする)。15年前は単行本で読んだので(意外と覚えているものだ)、今回は文庫本で読んだ。
 アンソロジー『日本SFの臨界点』を読みSF熱が高まったので、以前から読み返そうと思っていた本書に手を伸ばした。Wシリーズを読み終えたら、WWシリーズを読み始める前に復習しておこうと思っていたのだ。思っているままに時間が過ぎ、WWシリーズはすでに4冊も刊行されている。私の読書スピードよりも著者の執筆スピードの方が早い。積読本が増えていく。著者の本についてはエッセイや新書についても積んでいる……WWシリーズ以外の未読のシリーズも積んでいる……きっと幸せな状態なのだろう。

女王の百年密室』を再読した。

2113年の世界。小型飛行機で見知らぬ土地に不時着したミチルと、同行していたロイディは、森の中で孤絶した城砦都市に辿り着く。それは女王デボウ・スホに統治された、楽園のような小世界だった。しかし、祝祭の夜に起きた殺人事件をきっかけに、完璧なはずの都市に隠された秘密とミチルの過去は呼応しあい、やがて――。
  (裏表紙の紹介文より)

 さて、久しぶりの再読だ。読んだということ、主人公二人のバディのこと、衝撃的なエピローグについては覚えていたが、本編についてはこの15年で悲しいくらい忘れていた。なので初読時のように楽しめた。だけれども初読時とは違うのは、直接的ではないにしろ、百年シリーズがWシリーズの前日譚にあたるものだという認識があることだ。無意識のうちに『女王の百年密室』の舞台の人工的な街「ルナティック・シティ」をWシリーズの「ナクチュ」に重ね、本書とWシリーズを比較していた(この読み方が正しいかどうかは別だが)。

 驚いたのは『女王の百年密室』が記憶していた以上にミステリチックだったということだ。タイトルに「密室」とあるくらいし、文庫の裏表紙の紹介文にも「神の意志と人間の尊厳の相克を描く、森ミステリィの新境地」とあるので、ジャンルとしてのミステリィであることは間違いないのだが、もっとSFっぽいのかなと思っていた。事件の舞台となる「宮殿」については、ミステリではお馴染みの「平面図」までついている。読んだときの感触もWシリーズよりも、そして二人だけになったなどに近いように感じた(初版発行年が近いからかもしれないけれども)。
 その一方で、この本の魅力がミステリィとしての謎解きにあるのではなく、SF的な世界観やテーマにあるのも確かだろう。純粋なミステリィとして読んでいると、ちょっとそのトリックは反則なのでは、と思ってしまうかもしれない。「死」を克服した楽園である「ルナティック・シティ」は間違いなく一種のユートピアであるし、その世界に生きる人々の在り方を描いている、またその町の成立過程を仄めかしているという点で、この本はSFだ。そしてそんなSF的世界だからこそ、成り立つトリックなのである。また逆に言えば、トリック自体がこの街に生きる人間の世界観を表しているともいえる。

 その世界観のなかで、読者が突き付けられるのが「生きているとはどういうことか?」というテーマなのである。このテーマはそのままWシリーズにも通じるものでもある。Wシリーズには『私たちは生きているのか?』『人間のように泣いたのか?』といった直截的なタイトルがついたものもある。そのテーマは、言葉を換えれば「生きていることの価値とはなにか?」「人間であるとはどういうことか?」ということになる。
 だからこそ、なのだろうか。主人公ミチルは驚くほど感情だ。Wシリーズでは感情的な人物がほとんど出てこなかったので、なんだかとても新鮮だった。また主人公以外の登場人物たちは、ほとんどみんな冷静で感情を制御しているのに対し、主人公のミチルだけがひとり感情的であることも(ミチルの同行者のロイディは初期型ウォーカロン(ロボット)なのでそもそも感情がない)、ミチルの異邦人としての特異性を際立たせているようにみえる。そしてその感情的で異邦人的であるミチルの存在が、外部から閉鎖された楽園で起こる物語を前に進めていく。
 ここで描かれている自給自足の理想郷「ルナティック・シティ」は一見、恒久的な機構であるようにみえる。しかし永遠はない。永遠なのは「死」だけだ。人間であるミチルはその存在をもって、世界に有限性を示す。有限性は「生」の本質のひとつであろう。
 

性別の超越

 さて。本書に限らずなのだが、森博嗣さんの書く物語で特徴的なのは性別の書き方だろう。いずれ「森博嗣作品とジェンダー」みたいな論考がなされるだろうと思う。私が知らないだけでもう書かれているのかもしれない。
 インスタントラーメンを食べたら男女が逆転するという設定の連作短編集墜ちていく僕たちがあるし、Vシリーズの主要登場人物の一人はごく自然に女装をしているし、Wシリーズにはシリーズ10作を読んでも性別が判明しない人物も出てくる(アネバネ、君のことである。スカートを履いている描写はあるが、もちろんスカート=女性ではないので、性別は不明なはず)。彼らはいとも簡単に性別という記号を超越していく。もちろん男女の恋愛を扱った小説も書かれているが(どきどきフェノメノンなど)、そこでも登場人物たちは、いわゆる「男らしさ・女らしさ」というものから解放されているようにみえる。
 森博嗣さんの小説を読んでいると人間にとっての性別は、本質的なものではないのだなと思えてくる。その自由さは、とても人間的なものに思える。
 この『女王の百年密室』でも、性別は一つの重要なファクターとして登場するが、しかしそれは決して登場人物の人格を縛るものではない。

「サエバ・ミチル、あなたは男性ですか?」彼女は綺麗な声で尋ねた。
 彼女は腕を組んでいる。両手を膝に乗せて、姿勢良く背筋を伸ばしていた。視線は僕を真っ直ぐに捉え、ひとときも逸れなかった。
 僕は深呼吸をする。なんとか自分の頭脳とアクセスすることに成功した。
「性別は、現代では、人種と同じくらいクローズドな情報です」僕はなんとか答えた。

 そしてそのことが、エピローグのコペルニクス的転換に鮮やかにつながっていく。エピローグの衝撃はしっかりと覚えていたが、それでもよく出来ているなと思った。あまり書くとネタバレになってしまうので、未読の方は是非一度読んでみてほしい。
 にしても本書『女王の百年密室』、漫画化やラジオドラマ化もされているらしい。それぞれのメディアでこのエピローグをどのように描いているのか気になる。小説だからこその部分が多分にある仕掛けだと思うのだけれども。