北森鴻の異色長編ミステリ『冥府神の産声』【読書感想】
北森鴻さんの長編ミステリ『冥府神の産声』を読みました。
初読は小学六年生か中学一年生のときだった。「冥府神」と書いて「アヌビス」と読むのがカッコいいという、中二病的感性から手に取った一冊。初めて読んだときは、難しい話だなと思った。挫折したと思う。その後「北森鴻」という作家を意識してからもう一度手に取り完読。成人してからも一度読んだことがあるので、この度の読書は再々々読となる、はず。北森鴻の長編では、一番多く読み返した一冊である。
ではこの長編が著者北森鴻さんの代表作かといえば、そうではない。むしろ『冥府神の産声』は北森鴻さんの作品の中の異色作といっても良い。
本書には料理も骨董品も民俗学も出てこない。テーマは脳死と臓器移植。そう、医療ミステリなのだ。しかも超能力が使える少女というSF風味な登場人物まで出てくる。舞台も新宿の段ボール村であり、社会派ミステリとしての色も濃い。
北森鴻さんの作品の中ではかなり特殊な部類に入り、読後感もSFを読んだときに近い。
物語の根幹をなしているifがSF的であるし(物語はこのifを巡るホワイダニットでもある)、超能力をもつ少女トウトについての謎(彼女は何者か、過去に何があったのか、これからどうするのか?)が一切明かされないまま物語が終わり、不思議な余韻となっているからだろうと思う。
また、物語中に挿入される解剖学教室で夜間に行われる秘密の実験など、怪奇小説のようなシーンもある。
『冥府神(アヌビス)の産声』を読む。
時代は平成。脳死者の臓器移植の是非について医学会が揺れていた。ある夜、一人の男が殺された。被害者は医学部の解剖学教室の教授であり、脳死者の臓器移植推進派の主要メンバーであった。殺人の謎に挑むのは、医療ライターの相馬。相馬は被害者の教授の右腕とまで言われた優秀な研究者だったが、臓器移植の方針について教授と揉めて教室を追放された過去を持っていた。久しぶりに教室を訪ねた相馬は、自らと同じく教授の教え子で、ライバルでもあった九条という男もまた、研究室を追われていたことを知る。相馬は事件を追う過程で九条と再会するのだが、彼の姿は様変わりしていた。
「俺たちは、あの研究室でなにをやろうとしていたのだろうか」
祈りの言葉はあまりに淡々としすぎていて、相馬は返す言葉を見つけることができなかった。
「汝の肉を我は汝に与え、汝の骨を我は汝のために結びあわせたり。汝の四肢を我は汝のために集めたり。土地は甘んじて汝を受け入れ、汝の四肢は守られたり。汝は安全な状態にある力強きものにして、汝は秩序正しくおかれ、汝は神々を見る。汝は旅に出発し、その手はすでに地平に達して、汝がいたらんとする聖なる場所に近付きぬ。
歓呼の声は汝に向けられ、汝が祭壇に現われるとき歓びは汝に向かって発せられる。太陽神ホルスはその昇るときに汝を蘇らせることも、あたかも聖なる場所におけるごときなり。栄えあれ、勝利者たるオシリス・ネフェル・ウベン・フよ。ウアの女神は汝に生命を与え、墓に棲むアヌビスは汝のミイラを調え、汝の身体に包帯を巻けり」
いったい何度この言葉を九条は唱えつづけたのか。本をめくることもなく、呪文のように、たぶん死者の書の一節であろう言葉を続けた。
こんな異色づくめ小説にも関わらず、私はこの物語が好きだ。まず雰囲気が抜群に良い。平成前期の空気ーー「昭和」のおどろおどろしさや熱気もないし、「令和」ほど洗練されてもいない(主観です)ーーを濃縮させたような雰囲気が全編に漂っている。また登場人物に愚かな人間いないというのも魅力的だし、生と死を問うテーマも考えさせられる。
何よりも資料からこれだけの物語を組み立てた著者の筆力に脱帽する。残念な点をひとつ挙げるとすると、『冥府神の産声』的な物語が本書一冊だけであることだろうか。もっとこのような、物語を読みたかったなと思う。
- 作者:北森 鴻
- 発売日: 2008/11/11
- メディア: 文庫