読書録 地方生活の日々と読書

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面白いだろうと思う、けれどまだ読みたくない、そんな本。北森鴻『天鬼越』

今週のお題「最近おもしろかった本」

 ついに買ってしまった。

 その本は――

 本屋に並んでいた。いつの間にか文庫化されていた。文庫化されるぐらい時間が経っていたのか、と驚いた。買うべきかどうか、一瞬の迷い。私は買うだろう、と思った。手が伸びた。裏表紙の説明文を読む。買うことを決める。ついにこの本を手に入れる時がきたのだ。

 『天鬼越』北森鴻の遺作である。

いさく【遺作】――故人の、未発表作品および著作物(で、死後に公表された物)。  (by手元の国語辞典)

 分かりきったことだ、私達が読める北森鴻の作品はこれが最後だということ。

実は、まだ読めません。

 突然の訃報に驚いてからもう五年。自分は北森鴻の一読者に過ぎない。けれども北森鴻の作品は12歳のときから読んできた。はじめて読んだのはアンソロジーに収録されていた『バット・テイスト・トレイン』だったし、中二病のころの宝箱の名前はエッセイと短編集が組み合わさった本『パンドラ’sボックス』からとって「Pandra's Box」と名付けていた。10年以上、ファンをやっているとそれなりの思い出もある。

 新作を追いかけていた作家の訃報にぶつかったのは初めての経験だ。初めは信じられなかった。だって、自分の両親よりも著者は若かったのだ。読み始めた時点で亡くなっていた作家(太宰治三島由紀夫などなど)の遺作を前にするのとは、感慨が違う。「最後感」とでも言えばいいのだろうか、この作品が最後だ、という気持ちが強い。
 しかも北森鴻に関しては『うさぎ幻化行』が遺作だと思っていたので、死後数年たってからの今回の作品の発表時には、驚きと喜びを感じるとともに「今度こそ本当の最後だ」という気持ちがより強調された。今回の『天鬼越』は、残されていた原稿をもとに、公私共にパートナーであった浅野里沙子さんが執筆して書き上げた作品だと言う。正真正銘最後の作品だろう。正直、どんな作品になっているのか読むのが怖い、という気持ちもある(伊藤計劃円城塔屍者の帝国』の例もあるし)。

 そうして自分は、買った文庫本を前に、それを開けずにいる。
 え、じゃあ今何を読んでるのかって? それはもちろん蓮丈那智フィールドファイルシリーズの再々々読である(今回発表された『天鬼越』は蓮丈那智フィールドファイルシリーズの長編だ)。とりあえず今は写楽・考』。問題は、『写楽・考』には別のシリーズの登場人物が脇役として出てきていることであり(冬狐堂シリーズの宇佐見さん)、となるとそのシリーズも読みたくなるし、そのシリーズはまたまた別のシリーズ(香菜里屋シリーズ)とちょっとしたつながりがある(香菜里屋シリーズが終わってしまったときもすごく悲しかったな・・・)。
 北森作品を読んだことがない方にはよく分からない文章だと思う。でも、もしよければぜひ手にとって読んでみて欲しい。シリーズもの以外にも単発物や短編連作集もいろいろと出している。一押しは連作短編集『メインディッシュ』。個人的には、日本の短編連作ミステリの一つの頂点だと思っている(あ、北森鴻はミステリ作家です)。長編なら『冥府神(アヌビス)の産声の産声』かな・・・(こちらは個人的な思い入れが強いだけかも)

 なんだかグダグダと書いてしまった。
 遺作を読む前に読み返したい北森鴻の本はほかにもある。正直、最後の作品なんて読みたくないという気持ちもある。が、きっといつか読んでしまうのだろうな。
 最後に。思春期を支えてくれた作家に対し、一読者としてご冥福をお祈りいたします。

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天鬼越: 蓮丈那智フィールドファイルV