読書録 地方生活の日々と読書

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『世界史を変えた13の病』(ジェニファー・ライト著、鈴木涼子訳)

 新型コロナウイルスの流行に伴い、感染症をテーマにした本が売れているという。カミュ『ペスト』が重版というニュースが流れているし、岩波新書編集部さんは、村上陽一郎『ペスト大流行』山本太郎感染症と文明』の緊急復刊、押谷仁・瀬名秀明パンデミックと戦う』電子書籍版発売をツイートしていた。そのツイートによると、岩波新書(黄色)である『ペスト大流行』は古書価格が10000円を超えているらしい。機会があれば読んでみたい。

 そんななか、私が思い出したのは『世界史を変えた13の病』(ジェニファー・ライト著、鈴木涼子訳)という本である。題名の通り、13の病について、その病が当時の人々や社会にどのような影響を与えたのかということを書いたノンフィクションである。これも何かのきっかけと再読したのだが、やはり初読時とは異なった印象を受けた。

目次
はじめに
アントニヌスの疫--医師が病気について書いた最初の歴史的記録
腺ペスト--恐怖に煽動されて
ダンシングマニア—死の舞踏
天然痘--文明社会を即座に荒廃させたアウトブレーク
梅毒--感染者の文化史
結核--美化される病気
コレラ--悪臭が病気を引き起こすと考えられた
ハンセン病--神父の勇敢な行動が世界を動かした
チフス--病原菌の保菌者の権利
スペインかぜ--第一次大戦のエピデミック
嗜眠性脳炎--忘れ去られている治療法のない病気
ロボトミ--人間の愚かさが生んだ流行病
ポリオ--人々は一丸となって病気を撲滅した
訳者あとがき
原注

 各章は独立しているので、どこからでも読むことができる。初読時は、頭から順番に読んでいったが、今回の再読では気になるところから読んでいった。最初に読んだのはもちろん「スペインかぜ」。

スペインかぜ--第一次大戦のエピデミック

 第1次世界大戦中に、世界中で大流行したインフルエンザである。毎年流行る季節性インフルエンザとは違い、致死性が強く、特に若者が重症化しやすいという特徴をもった感染症である。死亡した患者の35%が20代だったという。
 アメリカのカンザス州で発生したスペインかぜは「兵士とともに国じゅうの陸軍キャンプへ移動し、その後海外へと渡った」。感染力も強く、ウィキペディアによると、世界人口が18〜20億人の時代に、5億人以上が感染し、5000万〜1億人も亡くなったという。
 初読時には、この圧倒的な罹患者数・死者数に表される病気自体の恐ろしさが一番印象に残った。この章の冒頭には「約100年前、一九一八年に、世界中で5000万人がスペインかぜで死亡したが、その原因も治療法も撲滅法も、再来するかどうかも不明である。」という恐ろしい一文まで添えてある。

 しかし今回の再読では、なぜアメリカ発祥の病気なのに「スペインかぜ」という名で呼ばれるようになったのか、というところを一番興味深く読んだ。
 当時のアメリカでは、世界大戦参戦を背景に成立したモラール法という法律で、報道が厳しく規制されていた。

アメリカ政府に対して不実で、冒涜、中傷、罵倒するようなことを発言、印刷、記述、出版すれば」、20年間刑務所に入れられる可能性があった。

 他国でも同様に報道は規制され、この致死性の感染症の流行は、流行当初、国民に知らされることはなかったのである。
 そんななか、第一次世界大戦で中立国であったスペインでは、この感染症の報道がなされたことから「スペインかぜ」と呼ばれるようになったという。
 しかし政府がいくら隠蔽したところでこれだけの感染症だ、隠し通せるわけはない。著者はフィラデルフィアの街で流行が広がる様子を解説するが、なかにこんな一行がある。

秋のあいだに、誰もが病気のことを知っているらしいのに、誰も深刻に受けとめていないような奇妙な時期があった。

 見て見ぬ振りをしようとしても、ウイルスは忖度してくれない。流行は広がり10月の間にフィラデルフィアでは1万1000人の死者が出た。棺の価格が高騰した。子どもの遺体はマカロニ箱に詰められた。葬儀屋は遺体に触れようとしなかったので、家族が埋葬した。

結局、病気や死と効率的に戦うにはどうすべきかという明確な指導がなく、士気が低下した。この頃には危機の明らかな証拠に囲まれていた人々が、有益な情報を得ようとしても、何も問題はないと言う答えが返ってくるばかりだった。新聞が本当の情報提供した時でさえ、人々はもはやそれを信じていいのか確信を持てなくなっていた。

 人々の不安は、パニックとなって街を襲った。

スペインかぜは十四世紀のペストと同様に“疫病”と呼ばれるようになった。

 情報不足による不安、そして社会的な混乱。現在進行形で、新型コロナウイルスの流行に直面している世界が、100年前の世界とオーバーラップする。社会の混乱には「スペインかぜ」ほどの感染力も死亡率もいらない、ということが証明されつつある。いくら科学が進歩しようとも人間は人間である。集団ヒステリーの恐ろしさは時代を超越する。

疫病と人間

 この本を読むと、スペインかぜ以前にも—それこそローマ時代から--人々は感染症を前に不安に陥り、社会を荒廃させてきたことが分かる。しかしそれと同時に、病に対し勇気をもって戦う人々もいた。人々は何千年も前から病に苦しできたが、それでも現在まで、種を繋いできたのだ。
 新型コロナウイルスの流行は、人間という動物の、あるいはそんな動物が作り出した社会の脆弱性を再発見させた。
 正直、感染症の影響が、ここまで自分自身の生活に入り込んでくるなんて、ひと月前までは思ってもいなかった。今はまだ日常は日常として続いているが、今後どうなるのかは本当に分からない。病気も怖いが、その後に来るであろう不景気も怖い。そして何より、人間の醜さが日々のメディア報道により否応無く飛び込んでくるのが、そろそろ辛くなってきた。
 でも、だからこそ、人は過去の人々がどのように、今の自分が抱える問題と向き合ってきたのか知りたいと思うのだろう。だからこそ、本を読むのだろう。私は今、カミュの『ペスト』を読んでみたいと思う人の気持ちがよく分かる。


世界史を変えた13の病

世界史を変えた13の病